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名古屋地方裁判所 昭和28年(タ)27号 判決

原告 大岩あきゑ

被告 大岩京市

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事  実〈省略〉

理由

公文書であつて且つ成立に争ない甲第一号証及び原告本人尋問の結果(第一回)によれば原告は明治三十三年十月二十五日訴外岡田藤治郎同志満の二女として出産し、旧制高等小学校を卒業し、小鈴谷裁縫女学校二年修了後、明治二十三年五月二十九日訴外大岩文左エ門、同みしの長男として出生した被告と大正十一年五月二十三日婚姻し、同日その届出をしたこと、昭和十一年十二月六日右大岩文左エ門の死亡に因り被告が同訴外人の家督相続をしたことが認められる。

原告は被告が原告に対し不貞行為をなし且つ悪意で遺棄したこと及び被告の責に帰すべき理由によつて原被告の婚姻に継続し難い重大な事由が生じたことを原因として被告との難婚を求めるので先ずこの点について案ずるに、成立に争のない甲第二号証、同第四号証の二、同第五号証の二、四、五、同第七号証の一乃至四、同第十三号証、同第十五号証、同第十七号証の一、二、同第二十二号証の一、二、同第二十三、二十四号証、乙第一号証、同第三号証、同第七号証の一乃至五、同第八号証、同第十六号証の一乃至第二十号証の六、郵便官署作成部分につき成立に争がないことによつて成立の認められる甲第十六号証の一、二、同第二十一号証、原告本人尋問の結果(第一回)によつて成立の認められる同第十八、十九号証及び証人榊原みつ枝、石橋米三郎、阪野鉄城、岡田義孝、飯田修三、中島鎮太郎、服部栄七、猪瀬鶴蔵、平野光重、大曾根太忍(但しその一部)、飯田きぬの各証言、原被告本人尋問の結果(但し原告の分は第一、二回のうち後記措信しない部分を除く)を綜合すると、被告は内海町一、二といわれた資産家に生れ経済的に安定した生活環境の中で成人し亡父大岩文左エ門の家督相続をしてからも先祖以来の不動産からの果実、貸金利子等で生計をまかなつていたが若い時から遊び友達も多く狩猟、囲碁等を好みかような育ちの常として他人に対しても気前のよい性格であつたため自然料理屋などの飲食の際には勘定は自分がもつことが多く交際に相当の出費をし、趣味にも多額の支出が重なつていたこと、その弟訴外平野光重も大岩家の財産をあてにして他に借財をなし、しかも各自生活のため節約しながら一心に働く気概もないままに暮すうち経済界の変動に遇い、売り喰いの生活は何時しか資産家といわれた大岩家の財産を散逸せしめてしまつたこと、原告は被告と婚姻以来とり立てていう程の不和もなくむしろ夫婦仲は円満で昭和四、五年頃被告の父大岩文左エ門や被告及び被告の弟平野光重等の借金が嵩んで債権者等から取立てられた際被告を援けて奔走し原告の父訴外岡田藤治郎、兄訴外岡田金作、同訴外岡田義孝等の援助を得てその返済に協力し、その後右金作の経営していた右藤治郎所有の織布工場を被告が買取つてからは原被告共に織布業を営んで来たがその営業は必しも成功せず財政的建直しもできなかつたこと一方右織布工場を被告がゆずり受けた後武豊方面に転居していた岡田金作は同所で妻と離婚し行く先もなく生活も困窮して昭和二十四年一月頃原告を頼つて原被告の家に来たがやがて岡田金作の子供二名も連れて同家に同居するようになつたこと、金作は過去において自己及び父等が被告の家庭を経済的に援助したことを心にもつていて被告に対してとかく差出がましい態度に出、原告とは肉親の兄妹である関係上親密に生活を共にし、原告も金作を立てて被告をないがしろにしだしたが、やがて金作及びその子供と原告とが一つの家庭をつくつてむしろ被告を疎外するような結果となつたこと、このため原被告が子供のないため将来養子にするつもりで育てていた平野光重の娘訴外智代を光重のもとに帰すことともなり被告は金作等の同居に対して不満の気持を強くしていつたが生来の気弱さから金作等の同居を拒みながらもつよく反対することができず、原告が経済的に楽でない大岩家の家計を無視して金作に対する刑事被告事件等のため出費することなどから次第に原被告の間に口論が多くなつたが金作はかような場合原告に味方して被告と殴り合い双方が傷つくこともできてきたこと、このような零囲気が次第に嵩じて昭和二十七年四月被告は原告と口論した末戸外にとび出した原告をそのまましめ出して家に入れず、原告はやむなく裏の織布工場内の一部に金作及びその子供達と共に住むようになつたが昭和二十八年九月二十二日被告所有名義の内海町大字内海字入口上浜田等所在の蜜柑畑につき名古屋地方裁判所より被告の立入を禁止する旨の仮処分決定を得(該決定は昭和二十九年十月五日右仮処分決定取消事件の判決において一部解除された)これを原告の占有下において該蜜柑畑を耕作して生活するようになつたこと右別居後被告と原告及び金作等との確執はますます嵩じて右蜜柑畑の収穫や雑木林のした草刈をめぐつて絶えず相争うようになり体力的に金作に劣る被告は金作にとり押えられ時には傷を受けることもあつたこと、原告は別居後間もなく生活保護法による生活扶助を受けるようになり一時右扶助は蜜柑畑に原告が仮処分決定をえた後打切られたけれども再び扶助申請をなして認可され現在も右生活扶助を受けている立場にあり、一方被告も生活に因窮して生活保護法による扶助を申請したがこれを認められないままに附近の農家の日雇などして生活していることが認められ以上各認定に反する証人岡田金作、同榎本ぎん(但し第一、二回)同大曾根太忍、原告本人の各供述部分は措信することができないし他に右認定を左右するに足りる資料はない。もつとも甲第六号証、同第三号証の一、二によると原告主張の日に原告がその主張のような打撲傷を受けたことがうかがわれるけれども、右傷が果して被告のために受けたものかこれを認めるに足りる確証はなく、たといそうだとしてもこれは前認定のように原被告が口論の末殴り合い双方が傷つくに至つたときのものであるからこれを以て叙上認定のさまたげにはならない。

叙上各認定の事実によると被告が原告との同居を拒んだのは原告が被告の意思を無視して兄金作を原被告と同居させ被告の家庭の平和を乱したためであつてその原因の大半はむしろ原告に存すると見られるし、しかも前示認定のような状況下にあつてはなお被告において配偶者としての原告を経済的に扶助しなかつたことを以て悪意で原告を遺棄したものとみることはできない。そして原告の主張する被告の不貞行為もこれを肯認するに足りる証拠は存しない。なお前認定のような事情であるから現在原被告の夫婦関係には深い溝ができていることが一応推測されるが過去二十数年間は夫婦生活も円満であつたのであつて、その間にその溝が深められて来たものとは認め難く、原被告の不和の原因は前示認定のようにむしろ原被告間に内在するものでなく原告の兄岡田金作がこの夫婦の間に入つて来た結果原被告の家庭を破壊するにいたつたものであること、そして原告は金作と被告との間にあつて自ら妻として夫である被告との家庭の円満をとり戻すために努力することに思いたらずかえつて被告を攻撃し精神的にも経済的にもますます金作との同居生活を固守しようとの態度に出たものであることがうかがわれるのである。原被告は前叙のように大正十一年五月二十三日婚姻以来別居にいたるまで夫婦として二十数年の協同生活をなしてその人生の主要な部分を過して来た間柄なのであるから原告において経済的に行きづまつた現在今更被告との夫婦生活を見限つて兄金作と今後の生活を健直そうという気持をもたず自ら被告との不和の原因をよく見究めて適切な生活態度をとり危殆に瀕している経済生活の建直しに被告と共に努力したならばその不和もやがて解消するものと推認されるので原被告間に民法第七百七十条第一項第五号にいう婚姻を継続し難い重大な事由があるということもできない。

以上のように原告の主張する被告との離婚原因はいずれもこれを肯認することができないから原告の被告との離婚とこれを前提とする財産分与の本訴請求は失当として棄却することとし訴訟費用の負担について民事訴訟法第八十九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 木戸和喜男)

目録(略)

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